2010年12月29日
Yips and salvageから今年最後の一枚
悩みこそが美しい(と思う)作品「Yips and salvage」から今年最後の一枚。
物理的な時間の都合上、年内には終わりそうにない仕事もあったりしますが
なにはともあれ本日で仕事納め。
今年も仕事中心の一年でプライベートはほぼ皆無でしたが、色々な人達と出会いながら何かと学び実際の体験も踏まえながらそれらを精査することに終始した年だと感じます。なにげないそういった事象は作品に対する思考にも大きく影響しますし。。。
いつものごとく。
まず、私自身は作品というもともと存在しないものを身の回りの出来事やヒラメキから「楽しそう」という思いを抱き、ないものを想像しながら作りだしたり、旅先などで目の前に起こった真実を記録してみたりと、はっきり言えばほぼ「無心」の状態でシャッターを切ってきたのです。とても普通です。。。
そして、実力以上に大きな賞もたくさん頂きましたが、賞として過去も現在も高く評価されている作品はやはり限りなく「無心」で撮ったものが大半をしめています。つまりその当時は「コンセプト→制作」という順番ではなくて「制作→コンセプト」の順番が相当だったものが高い評価を頂いたということになります。厳密にいえば、私の場合には制作後しばらく時間をおいてから、自分が撮影した写真の意味を後で知るというのがほとんどでした。まれに制作途中に明確なコンセプトを発見したときは知ることと引き換えに完成度が高くなりその後の写真には「夢」がなくなっていたと思う。
程無くしてコンセプチャルな作品が求められる時代が到来し、「これは何か」「あれは何だ」という人が増え始め、作品にことこまかく説明を求めることが当然になり言語による情報で作者の主観や物語を伝えることが多くなったと思う。それはとても作家的な表現で、感性や経験など人それぞれに差異がある以上、理解しがたい写真に苦しむたくさんの人に同じような目線から作品を伝えられるという意味では良いことだと思うんですが。。。実際に私もコンセプチャルな作品も作る以上否定はしませんし。
物語に感動するか、絵に感動するか、割合で両方か。。。みたいな
まぁ、どれを選んでも論理と感情が鬩ぎあう配分が変わるぐらいだし「時間」という
タイミング的な要素もありますのでややこしい無限ループに陥ります。
それでもなお、私は「言葉で説得するよりも写真で納得するほうが好きです」。そういう意味もありつつ、作品「Yips and salvage」は悩みを主張している作品ではないかと最近は思います。
コンピュータでは理解し難いような人間につきものの「悩みが魅力」ではないかと。
とりあえず・・・難しい話はこのへんで終了ε=ε=(o*゚ー゚)o
お客様、受講生の皆様、お得意先の皆様、ギャラリストの皆様、やさしいお友達の皆様今年も大変お世話になりました。来年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
それでは皆様、良いお年を◎
☆Thanks☆(〃・ω・〃)v☆Thanks☆